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2013年6月

2013年6月26日 (水)

週一集その八 ヘルペスの信号

 

ヘルペスの信号

コンセプトあるいは決意表明にかえて

 

朝日新聞、19871211日付夕刊によれば、(やや古い記事で恐縮ですが)あのヘルペスウイルスが悪さをせずに“休眠”しているあいだ、一個だけ(健気にも)働きつづける遺伝子があり、この遺伝子が他の遺伝子の活動を抑え眠らせているのではないかという仮説が発表されました。

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週一集その七 セイタカアワダチソウをみつめて

 

Yellow Messages;

セイタカアワダチソウを

みつめて       北村 周一

 

赤は赤らしく、黄色はこがねにかがやきを増して、今年の紅葉は目をみはるばかりに美しい。葉陰にも色が滲み出るかのような秋の景色のなか、セイタカアワダチソウの満開の花々が黄金色の房々を日のひかりに遊ばせている。ここ利根川の河川敷でも、そしてわが境川の川原でも。

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週一集その六 ±0、でも

±0、でも

単純さを急ぐあまり、奥行きを失いつつあるのか。

やっとこさ手に入れた単純さはそれゆえ、やっとこさ立っているにすぎないくらいの存在感しかないのだろうか。

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またまた、週一集のつづき。

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週一集その五 個人の自由

個人の自由

きょうは、とってもタバコが吸いたい。

まず、タバコを吸いたいと欲する。欲したおもいが、体内を巡る。この欲求はなかなか消えようとしない。タバコとは、単価の安い欲求解消の道具である。

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週一集その四 デジタルカメラの二項定理

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旧い記事でごめんなさい。


デジタルカメラの二項定理

2年前は、35万画素が主流の普及版デジタルカメラも、今春(1999)200万画素機が出現し、一気に銀塩カメラ並の画質をもつにいたった。

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週一集その一 CWR

 

CWR

秋の日の昼下がりのC・W・R、または

謎めいた暗号のような、3文字のアルファベットは、Clear Water Revivalの略、絵のタイトルである。字義どおりに訳せば「清水再生」、水は安心して飲みたいものだけれど、ここでの清水は、あの、静岡県の清水市のことである。

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週一集その三 「爆笑問題」の左側

 

爆笑問題」の左側

電車の中吊り広告で見た、何のコマーシャルだったか、右は非日常的ポーズを取ってはいるが、目立たない。左は目立つ、なぜか? 

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週一集その二 Alumatiks、そして

すこし旧いけれど、過去のつぶやき集です。よろしく。

 

Alumatiks、 そして

  

 Alumatiks(アルマティクス)とは、「アルミニュームのような」という意味の造語であり、Alumatiks BlueAB)は、最初の個展から今に到るまでの基本的な、いわゆる私性としての、「色」の総称である。

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1999年『線の配合』展の折りのテキスト(高木久仁子氏)

線の配合―北村 周一展に寄せて

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線の配合


画面上の二本の線。一か所だけで交わり、まがりくねりながら画面を徘徊し、それぞれ上下左右にぬけてゆきます。二本の線は面を分けているのでも囲っているのでもなく、また地でも図でもなく瓦いに等価値のものとして存在します。  

制作は筆触をかさねていくことから始められます。このもっとも初源的な画面とのかかわりは赤い油彩えのぐからはじまり、黄色へとつながり、青で終わるというプロセスをたどります。この過程で絵画内部の複数の層を往還する独特な線が導き出され、その線が彼の視覚・知覚の総体をになう重要な媒体となります。

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2013年6月25日 (火)

かたちが生まれるところは・・・・・ 平井 亮一

「texthirai_1994.doc」をダウンロード

1994年ギャラリー檜個展の際のテキスト(平井亮一氏寄稿)

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かたちが生まれるところは・・・・・

 ことがらを画面の内側へと収斂させる〝内包的統合〟の実践形式、そこで画面の最低限の知覚現実に構造をあたえること。一見して、

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2013年6月24日 (月)

4 赤子なりし祖父を抱き上げくれしひと男次郎長歌詞に知るのみ

短歌、第四号。三保の松原をうたう。またも、三首。

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赤子なりし祖父を抱き上げくれしひと男次郎長歌詞に知るのみ

正調の茶切りぶしはにあらず「きゃあるが鳴くんあめずぅらぁよ」

窓を開け久能街道を疾駆せり、うしおに濡れて立つ夏の冨士

2013年6月23日 (日)

3 ねむたそうなシグナルぬるきボールペン夜が明けたらドクダミを抜く

短歌、第三号。

ねむたそうなシグナルぬるきボールペン夜が明けたらドクダミを抜く

眠剤の種類をかえてまたひとついろの異なるゆめに繋がる

不用意な声もてひくく発せらる侮蔑用語はわれの口よりP6030035

マイフォト追加しました。

写真いろいろと、増殖中。Pb270028

2013年6月22日 (土)

2 一発でみんな失格になればいい ひだり回りに走る白線

短歌第二号、3首紹介。

一発でみんな失格になればいい ひだり回りに走る白線

父と子のキャッチボールは飽きやすく逃げるボールを追いかけしまま

楽鳴れば踊りだす子ら校庭は秋の日しろき白線の上Pa230271

2013年6月17日 (月)

白鯨と、呼ばれし絵画一連

_mg_2046x03 2010年春、ギャラリー檜A・B・Cでの個展の記録_mg_2051x03

2013年6月13日 (木)

《substance》桃花峡へ展、テキスト「その在所」全文(平井亮一氏寄稿)

「sonozaisho-hirairyouichi200503.doc」をダウンロード

山梨県増穂町、春鶯囀蔵元、株式会社萬屋醸造店内、酒蔵ギャラリー六斎にて催された、北村周一・塩島敏彦(絵画と宝飾)展のおりのカタログより、テキスト全文の紹介。

2005年3月24日~4月17日、桃から桜へ、花咲きみだるる頃、開催された。

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そ  の  在  所

 

平井亮一

 みもふたもないはなしですが、なにがしか物と観念とのあいだで、なにごとか眼でみる表出体を造作するというのが、さしあたり美術の営みであるとするなら、そのような造作をあらしめ、それとみとめるさまざまな要素・条件のいわば複合のありようがまず問われずにはいないでしょう

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2013年6月12日 (水)

1 母の名を見知らぬひとより尋ねらる真夏の光り鈍きふるさと

短歌、創刊。記念すべき第一号です。まずは、三首。

母の名を見知らぬひとより尋ねらる真夏の光り鈍きふるさと

安息日 うつむきながら篠懸のみちゆく朝のしずかなことも

散り初めしはなの樹の下いつになく装いかろき母と行くらん

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《substance》桃花峡へ展、カタログ版ご案内全文(きたむら筆)

「200503_substance_catalogue_text.doc」をダウンロード

2005年の春、山梨県増穂町にある、酒蔵ギャラリー六斎にて催された、展覧会のカタログからの

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「視像のゆくえ」テキスト全文(美術評論家平井 亮一氏寄稿)

「sizounoyukuehirairyouiti_20130612.doc」をダウンロード

「絵画にみるもの、絵画からみえてくるもの」展(2008年)パンフレットよりFlagx3x08_2

アンチノミー(序)「絵画にみるもの、絵画から見えてくるもの」展に寄せて

「antinomy-preface20130612.rtf」をダウンロード

substance》桃花峡より、N氏へ;「物質」に着目しながら、画布と絵ののありようを模索するこころみも、実のところぎこちない作業になりがちであり、長いトンネルのなかしばし拘泥を余儀なくされていましたが、「速度」におもい至ることができたからでしょうか、幾分先がみえてきました。なるほど、アンチノミーは、ひとつ在所にあるのですね。たとえば、死と生のように。(2008/03/30)

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2013年6月11日 (火)

alumatik studioの写真資料追加しました

追加した写真は、フラッグの始まりから、ここ近年までの作品群です。なお下の写真は、2008年3月の、フェンスぎりぎり展、ギャラリー檜会場風景です。

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テンプレートの変更

テンプレートを変更しました。

背景を、写真用にうすいグレイにあらためました。

この絵のタイトルは、壁虎(ヘキコ)。キャンヴァスに油彩。P25号の大きさです。

Photo

 

暑い、熱い夏は終わったが、家の壁虎(へきこ、守宮・ヤモリのこと、夏の季語)はいまだ

台所の窓に貼りついたままである。

網戸とガラス戸とのあわいに挟まってしまい、身動きとれずに一夏すぎてしまったのだ。

むろんほぼ木乃伊(ミイラ)である。合掌

2013年6月 9日 (日)

北村 周一 略歴

北村 周一の個展およびグループ展等の略歴です。
➡ ダウンロード - e58c97e69d91e591a8e4b880e38080e795a5e6adb420201907303.docx

2013年ギャラリー檜B・C展示風景 撮影;森岡 純

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エスキースの、エスキース

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  エスキース・・・・この言葉の意味を厳密に捉えようとしてみると、妙な気分になってくるのはなぜなのだろうか。まるで、不意打ちを喰らったような、軽い眩暈をおぼえてしまう。

きたるべき絵画の下描きとしてのエスキースなどえがいたことがないし、また見せるべきエスキースも手許にはない、とまでいいきってしまうことにもなぜか気後れがする。

エスキースの、エスキース。

助詞「の」の解釈はさまざまにあると思われるが、たとえばエスキースのための、あるいはエスキースによる、またはエスキースのなかの、さらにはエスキースへの、・・・・エスキースというように、言葉のとりようは脹らんでゆく。

なかんずく、ここではたえず直前のしごとが、そのあとにつくられるであろう作品の試作品となるような反復を前提にしている。したがって、道を踏み外さないかぎりは、到底完成にいたることはないともいえるのだけれど。

みずからがえがいたことすら忘れていた一枚の水彩画を、十数年後アトリエの片隅から引っ張り出し、分けありげに油彩画に置き換えて、すでに七年が経った。

その絵にフラッグと名付けたのは、もともとは長方形の旗が、風のかたちに靡きながら揺れているそのさまを、画面のなかの空間に見立てたからだった。

木の枝に引っかかったまま風にふるえている、糸の切れた破れ凧のようなもの、そんな風情に意味を託した。

やがてこれらフラッグの連作が、一見それらと何の関係もなかったかのようにえがかれている、「アカメ」シリーズ(二枚一組)へと繋がってゆくのだが、そう思っているのはたぶん作者だけかもしれない。

(PARFUM no.134 2005)

現代絵画批判/北村 周一のフラッグ《フェンスぎりぎり》

現代美術の、とくに絵画における、抽象力について思考をめぐらしたい。

みずか らの作品の紹介とともに。乞うご期待!

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フラッグ《フェンスぎりぎり》2013年ギャラリー檜B・C展示風景  撮影;森岡 純

2013年6月 8日 (土)

マイフォトあらため、コーギーはお好き?

マイフォトあらたに、写真追加しました。
アルバム名は、のいた日々―コーギーはお好き?

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たまたま出会った子どもたちと。富士吉田浅間神社にて。

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フラッグ《フェンスぎりぎり》 公式ホームページ

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楽のいた日々、またはコーギーはお好き?

  • Dvc00042
    その犬の名は、楽。 ウェルシュ・コーギー・ペンブローク種のおんなの子。 英国原産の牧場犬。胴長短足。 1997年12月23日愛知県生まれ。 コーギーとは、北欧の妖精の謂い。
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2015年の等々力のフラッグ

  • Dsc005142
    フラッグ《フェンスぎりぎり》素地への遡行展の記録。 2015年5月29日より6月21日まで。 東京世田谷の、スペース23°Cにて。

2015年の沼津のフラッグ

  • Dsc004662
    2015年3月~4月個展フラッグ《フェンスぎりぎり》:沼津市庄司美術館(静岡)

2015年のフラッグ

  • Flag_fence_girigiri_201510
    フラッグ《フェンスぎりぎり》展 2015年1月8日(木)~1月17日(土) ギャラリー檜B・C 撮影はすべて、森岡純氏。

1984年のAB

  • 1984alumatiksblue8
    初個展。銀座3丁目ギャラリー檜にて。1984年3月。
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