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2013年6月25日 (火)

かたちが生まれるところは・・・・・ 平井 亮一

「texthirai_1994.doc」をダウンロード

1994年ギャラリー檜個展の際のテキスト(平井亮一氏寄稿)

Flag_1993pm


かたちが生まれるところは・・・・・

 ことがらを画面の内側へと収斂させる〝内包的統合〟の実践形式、そこで画面の最低限の知覚現実に構造をあたえること。一見して、

ことがらを画面での表層的な反復へともってゆく〝外延的統合〟の実践とみまがうけれども、時間と空間とあいわたって形成されるイリュージョンの複合が、むしろ素朴なかたちへと収斂されてゆく。あいまいにゆれる知覚の痕跡が決定不能のまま試行錯誤の網目を描いたとみえて、じつはそのおおざっぱなみかけがまさにポジティヴなかたちであるような統合。北村周一の絵画のおおよそは、目下こんなところであろうか。

 そのことを敷衍しよう。いまのべたようなかれの仕事それは、演繹的に平面の〝形式問題〟を参照するのではなく、時間・空間ぶくみで画面に没入するかれのフィジカルな対応にもふれた知覚の現実に、かれの統合実践の形式を映しだすことで帰納されたものである。この過程であらわれ、ためされ、そして修正されていった視像をもたらす内包的統合、これはミニマルなものにみえてじつはミニマリズムでもなければ、むろんしかるべき事物のイメージの表現でもない。その意味でかれの実践する内包的統合はなにごとかの隠喩ではなく、どちらかといえば、かれをみちびく特異な統合実践それじたいの形式をそのゆらぎにおいて指し示すような表出といえるだろう。そこで現実に同一化されるかれの媒体形式はその特異性において私たちの眼をとらえるとともに、この世の絵画ならざる有象無象とある点で相接し隣接するなら、それらとのあいだでこれは提喩たりうるのである。これもまたすぐれて絵画という名の統合実践受容の問題であることをみとめなければならない。

 さて、実際にはかれはまずもって赤系の油彩で画布とのとっかかりをつくる。あらかじめドゥローイングやエスキスをこころみることはない。というのも、画布に筆をもってたちむかうことがすでにしてドゥローイングでもあるから。赤系のえのぐは純色のままであったり、多くは白をまぜたものであったりする。おそらく太い丸筆平筆をもちい塗りかつえがくので、筆の走りがそのまま画面になってみえるとともに、白に近いほどに彩度の低い部分と純色のあざやかな部分とが塗る/えがくことのカオスを呈し、まだまだこの無明の閾域になにかが露呈する気配はない。が、それでも画面には視覚的な動きがうまれ、かかわりができ、なにかが組織されそうな雰囲気がたゆたいはじめる。やがてそうした画面の要所要所で、えのぐの平滑な部分、その褶曲する部分のはざまに空隙、断層、突起のような箇所が生ずると、その頃あい                                                                                                          になるとこんどは黄色のえのぐが重ねられ、筆はこれまでに形成された視像をむしろ消してゆくだろう。とそのいっぽうで、褶曲するもののあい接するところは、べつの色でおぎなわれるか、空隙として地色のまま放置され画面のおもてから後退する。ようやく画面は若干起伏する視像を形成し、それは褶曲のあいだをたどるような筋道をそこによびよせるだろう。しかしこれらがすすむにつれて画面はふたたび平滑な状態にもどってゆく。ひものようになった筋がつながり、すかすかの網状に脈絡ができる段になるとついに青いえのぐがもちいられ、その重なりがわずかずつ白まじりで彩度をおとすにともない、これまでにかたちづけられたものはさらに明確になってゆく。

 こういってしまうと、いかにもとどこおりなくことがすすめらてゆくようになるけれど、実際にはかなりためらいの多い過程をたどったはずで、その首尾もけっしてはかばかしいものではなかっただろう。しかし見かたをかえるなら、このはかばかしくないのは、試行錯誤の痕跡状態から特異な性質の形象をかれが画面で帰納してゆくときの視像の複合が、かれの統合実践をたえず決定不能にしがちだからである。かれのさしだす画面がどこかぎこちなく、ちょっとみた眼にはおおざっぱなものに映っても、子細にみるにおよんで思いもかけず複雑な因子をはらんでいると感ずるのはそのためである。

 かれの表出はこうして、画面とのかかわりで、表面形式の自己参照を実践するのではなく、画面からいえばその外部、おそらくは丸山圭三郎がかって「下意識」と「潜意識」との複合を「深意識」と呼んだあの言語化されていない無明の欲望や記憶に、ほかならぬ当の画面での統合実践の形式を映しだすような営為であるだろう。これは、かれの初期作品群(といっても1984年だからそう昔ではない)にみられた身をよせあう量塊のうごめき、細長い切片のゆらめき、ゆがむ空間の交錯といったある種の異界の不定形なイメージ描出につながるかもしれない。あきらかに当時の作品はかれの「深意識」の隠喩体である。しかし1987年から89年にわたって、面の分割と線とのかかわり、ストロークの並列による面の分節など、おそらくは「フォーマリズム」などのことも念頭においた平面問題〟のぎこちない演習といえるような仕事が続けられた。これなどははっきりと、それまでのかれのメタファ表出に対するアンチテーゼであって、思うにこれらのジンテーゼらしきものは90年から92年にかけておこなわれたパズル状画面の産出である。これが近作にみとめられるように、より明確なジンテーゼをまがりなりにも呈しはじめたのは93年の仕事からである

 さきにみたように、えのぐを重ねてゆく筆跡の方向があの褶曲する面を分け、それらが接するところは線状となり、さらに画布のおもてにそうように均質になった画面を、この線状のものが文字どおり奇妙なかたちで分節するのはしかし、分けるべき面を囲いこむ輪郭としてではない。この線状のものはかならず一箇所で交差することで囲みであることをはぐらかし、そのあいだの面をたがいに同質につながるものにしてしまうのだ。ひも状のものと面とは地でも図でもなくなるといってもよい。これまで線状のもの、ひも状のものといってきた箇所がおのずと平滑な面と面の境をなしているのは、すでにみたようにかれの統合実践の過程で面の褶曲部分に出来する変わりめの塗りもしくは描きの箇所として帰納されたものであった。細くても図の境として引かれた線ではない。このような箇所は明度の低い青が置かれたり、茶系の地色に淡い青などがどちらかといえばあいまいに重ねられたりする部分として平滑な面に対応している。これらがしばしばぎこちなく硬直してみえるのは、かれのこころみがそうしたあやういバランスの上にのっているため、それがくずれるとつい図式になってしまうからである。それがうまくいっていて印象深かったのはたとえば1993年の仕事(ギャラリーQ)であった。

 そんなことからして、ほぼ10年まえの、かれの「深意識」がからんだ画面とのかかわり、この統合実践は、いまみてきたようにその媒体形式の分節をポジティヴにひきよせ、これをおそらくまだ尾をひく「深意識」の上にようやく視覚化しそのかたちのほうをポジティヴに映しだそうとしている。またそのことが、簡明ながら特異な画面の創出につながるのは、褶曲する面と線状の閾とのあいだに、さまざまな知覚の現実をよびよせることによるのかもしれない。そのときいまのモノクローム調の傾向に変わりはないだろうか。

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